ブンドドを前提としたオモチャの話

ブンドドを前提としたオモチャ談義やオモチャレビューです。アメトイが好き。

基地玩具を探せ!

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基地玩具は奪い合いである

先に言っておきたいのですが、我らすべてのブンドド民にとって基地玩具というのは、常に追い求めているものであり、大概の場合において供給量が不足しているために、その購入は争奪戦の様相を呈していることがほとんどです。

「これはいいぞ」「使えるぞ」という情報がひとたびTwitterなどに出回ると、あっという間にネット上の在庫は枯渇し、数少ない勝者と数多くの難民たちという格差が生まれるのです。まさに基地玩具格差社会

そのため、このブログにおいても特定商品を名指しする形での基地玩具情報を共有することはできません。ぼく自身、欲しいと思っている基地玩具のほとんどがいまだ手にできておらず、それらの金額が少しでも高騰してしまう可能性があるのであれば、情報は隠しておくしかないのです。

残念ですが、これが野生の掟なのです。

 

そこで、この場においてはブンドドにおいて有益となる基地玩具の条件について触れるのみに留めます。

具体例を出せないのは非常にやりにくいのですが、ひとえにぼくの自己保身のためですので、どうかご容赦ください。

 

そもそも基地玩具とは

基地玩具。

この単語自体に、ぼくたちブンドド民はある特別な感傷と郷愁を寄せています。そのことばを呟くとき、ぼくたちの脳裏によみがえるのは、欲しくても欲しくても買えなかったあの日の悔しさや、持っている友達への羨望、自分の経済事情をただ恨むしかないという無力感……そしてそれらに伴って、独特の甘い懐かしさがじわじわと滲み出してくるのも感じられます。あの頃のめまいがするほど強烈な物欲を、もう二度と抱くことはないだろうという感覚。それが、懐かしさの正体です。

 

さて、本題に戻りましょう。

基地玩具とは、いったいなんなのか。

それは読んで字のごとく、「基地のオモチャ」です。

あるオモチャのシリーズがあったとしましょう。第一弾として4~8体ぐらいのフィギュアが出て、それらが好評を受けて、次々とラインナップを増やしていきます。フィギュアだけではなく、それにまつわるセットものも次々拡充されていきます。まずはビークルトイ。乗り物系のオモチャはフィギュアよりも原価が安く、定価を高めに設定できるので、メーカーとしては押さえておきたい商品です。フィギュアが売れ、連動するようにビークルが売れ……こうして、乗りに乗ってきたシリーズが最後の仕上げとばかりにリリースする商品こそが、基地玩具なのです。

 

正義の味方が集う、秘密基地。あるいは悪人どもが集まる秘密のアジト。それらをそのままオモチャとしてリリースするものが、いわゆる基地玩具です。フィギュアやビークルはいずれも「モノ」ですが、基地玩具は「」です。

フィギュアたちに活躍の場を提供することが、基地玩具の存在意義。

そのために、とうぜんですが、基地玩具はフィギュアたちを配置できるように大きな空間を持たなければなりません。必然的にサイズは大きくなります。フィギュアたちが数センチていどのコンパクトさ(いわゆる1/60サイズなど)に留まるのであれば、その大きさといっても机を埋め尽くすていどのものに過ぎないのですが、当初フィギュアシリーズとして想定されていたものにあとから基地玩具が付け足された場合、その大きさは想像をはるかに超えます。

もっとも有名なところでは、Masters of the Universeシリーズにおける、スネークマウンテンなどが挙げられるでしょう。

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動画の冒頭、Pixel Dan氏がスネークマウンテンの傍らに立っています。成人男性と比べたときの、このオモチャの巨大さは想像を絶します。

こちらのスネークマウンテンについては、当時品(5インチフィギュアに合わせたもの)ではなく、リメイク品(6インチフィギュアに合わせたもの)であるため、さらに巨大化しているきらいはあるのですが……基地玩具というものは、満足度を重視するとこれぐらいの大きさにはたどり着いてしまうという事実の一例として、ご覧いただければと思います。

またじっさいに、オモチャシリーズの当時品として、常識をはるかに超えたサイズの大きさの基地玩具もつくられています。

それが、G.I.JoeシリーズのU.S.S.Flaggです。

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全長およそ2メートル超。4インチサイズのG.I.joeたちが搭乗する戦闘機を、そのまま乗せて運べる空母として開発されたこの基地玩具は、まさにオモチャのモンスターと呼ぶにふさわしい存在感です。いかにアメリカの住宅とはいえ、これを子供向けオモチャとしてリリースするというのは、あまりに度を超えた発想と呼ぶほかありません。

 

さて、ここまで常識外れなものばかりというわけではありませんが、基地玩具というものは得てして以下の条件を兼ね備えています。

  • デカい
  • 高い
  • ややこしい

まず、「デカい」というのは分かりますね。上記に挙げた2例を見てみても、基地玩具がフィギュアの大きさや設計思想に合わせて大きくなりがちというのは、容易に見てとれます。

次の「高い」というのも、サイズの大きさから必然的に導き出せます。大きくなれば、値段も当然高くなります。小売店の在庫リスクも上がりますし、単純に使っている素材の量を考えても、価格が高くなることはやむを得ないと考えられます。最近の国内市場では、子供向けであってもおおよそ7,000~15,000円ていどの価格にのぼることがほとんどです。

そして、最後のダメ押しである「ややこしい」。これについては解説が必要ですね。基地玩具はいくら「場」を提供することが目的であるとはいえ、ただ背景を印刷したていどのものでは高額な価格に納得感を与えることはできません。必然的に、子供たちが遊べる各種ギミックが多く搭載されることになります。

代表的なものを挙げるなら、「エレベーター」「回転扉」「隠し扉」「落とし穴」「牢獄」「椅子」「武器庫」「回転銃座」などがそうでしょうか。

これらのギミックの複雑さに加えて、組み立ての難しさも加わります。

基地玩具は住宅スペースを圧迫することから、通常時にはコンパクトにしまっておき、遊ぶときにえっちらおっちら組み立てるという方式を採用しているものが多いのですね。この組み立てが、たとえばシルバニアにおける「赤い屋根の大きなおうち」やMasters of the Universeシリーズの「グレイスカル城」のように、ただ開くだけという単純な形であればうれしいのです。

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(※余談ですが、この2つは世界観がまったく違うのに、どことなく似てますよね)

 

しかしじっさいには、前述のようなギミックを豊富に盛り込む関係から、ああでもないこうでもないと組み立てる必要が出てきてしまう基地玩具が、多いのです。

パーツがばらけるものも多いため、紛失リスクも高く、こうなると子供やブンドド民にとってみたら遊びにくいことこの上ありません。

 

というわけで、

  • デカい
  • 高い
  • ややこしい

の3点を兼ね備えた基地玩具というものは、熱心にリリースされる割には、さほど売れないというのも現実なのです。

売れないから、価格を上げざるを得ないですし、在庫数も絞るしかない。

というわけで、コレクターが後年になってから入手をしようとすると、とんでもないプレミア価格に化けていることが多いのです。

 

しかし、基地玩具なのです。

いくらデカくても、高くても、ややこしくても、基地は基地。オモチャたちに活躍の場を与えたり、物語の下敷きとなる拠点を与えたり、防衛戦や攻城戦の舞台にしたいというのは、ブンドド民としては抗いがたい欲望なのです。

 

というわけで、ブンドド民の間では、「投げ売り情報」がよく交換されています。

失敗したオモチャシリーズや、番組が終わってしまった特撮玩具の、売れ残り。それらには、ときどき使い回しの利く基地玩具が含まれています。原作再現派にとっては、こうした投げ売り品にはなんの価値もないのでしょうが、オモチャを使ったオリジナルストーリーを日夜繰り広げている一定数のブンドド民にとっては、これらはまさに宝といってもいい。

こうした情報をSNSなどを駆使して共有し、瞬時に刈り尽くされた跡を見ては地団駄を踏むという暮らしを、われわれはくりかえしているのです。逆に購入を焦るがあまり、じぶんのブンドド世界や物語空間やスケール感にマッチしないものを買ってしまい、後悔の涙に暮れるというのも、よくある光景でしょう。

 

それだけに、自分の思い描く理想的な基地玩具に出会えたときの喜びは、ひとしおなのです。

 

というわけで、ブンドド民の皆さまに向けて、ぼくが感じた「遊びやすい基地玩具の条件」について、下記でご紹介をしたいと思います。

 

 

条件1:たくさんのフィギュアを配置できる

なるべく多くのフィギュアが置けること。

これが基地玩具の、基本にして最大の重要ポイントであると思われます。


フィギュアを置くためのスペースは、なるべく広くなくてはなりません。広ければ広いほどいい、といっても過言ではありません。しかしこれは現実世界における住宅の大きさと同様で、予算と広さとのバランスを鑑みる必要があります。
しかし、いくら安いからといって、フィギュアが3体ていどまでしか置けないような基地玩具を買ってしまうと、不満が残ってしまいます。

 

基地玩具は「場」のオモチャであると先ほど書きました。

「場」である以上、そこに何人もの人間がいて、それぞれ勝手な振る舞いをするていどの余裕は必要となります。基地玩具はその特性上、「並べる遊び」と相性がいいのです。並べる遊びにおいては、それぞれのオモチャたちが、さまざまなバリエーションを持った行動をめいめいにとっていることで、妄想が飛躍するきっかけを与えることができます。

しかし、2~3体までのフィギュアしか配置できない基地玩具とあっては、こうしたバリエーションを多く持たせることができません。これでは並べる遊びを愉しむには、役者不足と言えるでしょう。

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こういった小さな基地玩具についてはあくまでハンドリング・ブンドドの舞台として割りきって用いるのが、正解です。

 

条件2:さまざまな行動を導き出せる

基地玩具は「場」ですが、その「場」がだだっ広いがらんどうの空間であっては、おもしろくないことこの上ありません。

なにもない体育館に集められて、さあ好きに遊べと言われたことを想像してみてください。どうしていいか途方に暮れてしまうでしょう。それよりも、多くの遊具やアスレチックが備え付けられた空間であれば、多少せまくても、楽しく遊ぶことができます。

基地玩具も、これと同様です。

メーカーが基地の中に豊富に設けているギミックは、伊達ではありません。あるものは椅子に座らせ、あるものは牢獄に叩き込み、あるものは銃座から狙撃をし、あるものは操作パネルをしきりに触り、あるものは戦闘用ロボットの整備に余念がない……。行動バリエーションを多く持たせるのに、基地内ギミックのひとつひとつが、役立ちます。行動バリエーションが多ければ、妄想の幅は広がる――。何度もくりかえしている通りですね。

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もちろん、こういった行動バリエーションを純然たる想像力だけで導き出すことも、可能ではあります。しかしそれほどの武闘派ブンドド民であれば、基地玩具という存在がそもそも要らないという結論にたどり着いてしまうでしょう。真の武闘派は、遅かれ早かれ、段ボールでの自作や机上での見立てに行き着くのです。基地玩具というのは、まだそこにまで至っていないブンドド民たちが、想像力を羽ばたかせるきっかけとして使うためのものなのです。ぼく自身も例外ではありません。

 

条件3:情報量が豊富である

購入を検討している基地玩具があったら、まずはいますぐに発注したいという欲望をぐっと抑えて、その基地内の壁面をよくよく見つめてみましょう。壁面、とくにステッカーが貼付されている箇所には、情報量が集積しています。

基地玩具は、妄想内の細かいディテールを補強するのに役立ちます。壁面にコンソールやモニター表示が細かく描かれているだけで、そこを見つめたり、何らかの操作を行ったりするフィギュアの配置が可能となります。

しかしそこが単なる岩肌やコンクリートなどのテクスチャ丸出しのままであれば、その基地玩具は思ったよりも遊べないかもしれません。

 

また、同じ単なる壁面であったとしても、細かなモールドや異なった素材づかいが行われていれば、情報量は増えます。こういった精緻な作り込みは、スケール感を出すのに役立ち、フィギュアたちを配置したときの実在感がぐっと増します。

ステッカーが少ないからと機械的に見送れというのではなく、こういった部分の情報量も見極めるようにしましょう。

 

高さがあり、スキップフロアとなっている

基地玩具においては、広さよりも高さが重要です。

基地玩具の床面積が広いほど、住宅の床面積は圧迫されます。とうぜんのことですね。しかしこれを回避できるのが、高さで稼ぐという手法です。平屋よりも、2階建てや3階建ての家の方が、単純に床面積を広く取れますからね。

それに、横に広いのはかなり迷惑を被りますが、縦に高い分には、遊ぶ分にはさほど問題ありません。コツは、机ではなく床に直置きしてしまうこと。そうすれば立ち上がって上層階を遊ぶのも、苦にはなりません。

 

また、これは従来あまり指摘されてこなかった部分なのではないかとひそかに自負しているのですが、基地玩具においては「スキップフロアが豊富に盛り込まれている」というのは大きなメリットとなります。

スキップフロアというのは、建築用語で、下記のようなつくりを表わす言葉です。

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要するに、同じ空間のなかにあえて段差を設けて、中2階や中3階を作るという建築手法ですね。住宅づくりにおいては、奥行き感を強調したり、収納を増やしたり、単調さのなかにメリハリをもたらしたりといったメリットがあるようです。

 

実はこれ、基地玩具にも有効なのです。

 

じっさいのところ、基地玩具が決してたどり着くことができないのが、「基地の完全再現」という部分です。考えてみれば当然なのです。住宅ではなく基地なのですから、いかに数分の1、数十分の1のスケール感で再現したとしても、数多くの人が出入りする空間をオモチャで完全再現することはできませんし、必要がありません。
(極端なことをいえば、施設に必ずあるはずのトイレまで再現しても遊びに活用できるか、という話なのですね)

というわけで、すべての基地玩具は実のところ、「基地のデフォルメ」なのです。

 

では、基地らしい印象をいかに崩さずに、最小限で基地らしさを表現するか。

それを考えてみたとき、高さ違いの手狭なフロアが幾段にも分かれているというスキップフロアの構造は、きわめて合理的な解決方法なのです。

 

 

スキップフロアに分かれた基地玩具を見たとき、ぼくたちはそれを目に映る通りの「スキップフロア」というよりも、単なる「フロア」として認識します。すると、幾段にも分かれた空間は、それぞれが広大な階層を為していくのです。

また、スキップフロア構造は、天井から1階床までを貫く大きな吹き抜けをもたらします。この吹き抜けも、まるで日頃見ないような大空間であるかのような錯覚を、ぼくたちに与えてくれます(ロマンのない比喩を承知で言うなら、丸の内の高層オフィスビルのような印象ですね)。

こうして、スキップフロアを採用した基地玩具は、目に見える以上のスケール感を印象としてぼくたちに与えてくれるのです。

 

 

さて

さて、いかがだったでしょうか?

なんとなく、ご自分が求める基地玩具の理想型というものが、見えてきたでしょうか?

上記のような基準を元に、自分のブンドド世界に合った世界観・スケール感の基地玩具を探してみれば、大きな失敗は避けられるのではないかと思います。

そして、もしも条件に当てはまる基地玩具を発見した際には、ぜひぼくにも教えてくださいね。

 

ぼくが見つけた場合ですか?

教えるわけないじゃないですか

ブンドドにおいては「並べる」ことが遊びの8割を占める論

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並べることこそ、ブンドドの本質である

「オモチャを手に持って遊ぶ」というハンドリングブンドドの定義からは外れますが、オモチャを一面に並べることもブンドドの原初的なあり方のひとつです。

子どもたちは、とかくオモチャを並べたがるものです。床を埋め尽くすように手持ちのオモチャを並べ、這いつくばるような姿勢で見入ります。このとき、彼らの頭のなかでは小さな世界が息づいているのです。

街や家や基地や戦場など、多くの人々(あるいは怪獣たちやロボットたち)の営みが、再現されています。オモチャを並べることにより、子どもは世界を手に取れるサイズまで縮小し、それらを理解しようとしているのです。

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オモチャを並べる行為の中には、癒やしが存在します。世界を手に収まる大きさで再現することで、不可解さに満ちた世界をほんのすこし、分かりやすい形に整えてやることができます。そしてその行為そのものが、箱庭療法のように、ある種の治療のような効果をもたらしてくれます。

精巧に作られたミニチュアのジオラマを鑑賞することでも、同じような効果は期待できますが、世界構築に主体的に関わるという行為のなかには、他に替えがたい喜びが含まれています。

ひとつのオモチャを置くとき、あなたはそのポーズや行動(いま、そのキャラクターがなにをしようとしているところなのか)を考える必要があります。そのとき、そのオモチャは客体から主体となり、あなたは彼の意識を追体験するのです。そうやって並べられたオモチャたちによって構成された世界に、真に不可解な他者は存在しません。一人ひとりのキャラクターたちに、あなたの意識が反映されているからです。また、そうして並べたいくつものオモチャを高い位置から眺めおろせば、いくつもの主体が寄り添って営みを作り上げているさまに、言いようのない親近感を抱くことができます。

そうして一個の世界を作り上げたとき、あなたはほんのすこし、世界というものが怖くなくなっているのです。

これが、オモチャを並べることによる癒やしの正体です。

 

とはいえ。

ぼくたちブンドド好きがオモチャを並べるのは、単にそれが楽しい遊びだからです。

その遊びを通して癒やされる事があったとしても、それは副次的なものでしかありません。

癒やしそれ自体は目的たりえません。

 

では、なぜオモチャを並べることは楽しいのか。

以下でその理由について考えてみましょう。

 

オモチャを並べることで、構図が見えてくる

オモチャを並べるとき、ただ漫然と並べる人はそう多くはありません。作業ではなく遊びとして並べているのですから、そこには必ず意図が介在します。

たとえばヒーローとヴィランを並べようとすれば、ヒーローたちとヴィランたちはそれぞれが向き合い、いまにも戦いが始まろうという構図を作るのが自然な帰結です。

たとえば基地に隊員たちを並べようとすれば、彼らが一様に焦っているのか、それとも弛緩した空気をただよわせているのか、選択する必要があるでしょう。それによって、いま基地がどのような状況にあるのかが分かります。隊員たちが焦っているなら、基地はおそらく敵軍の猛攻に晒されているのでしょうし、隊員たちが思い思いに時間を過ごしているなら、きっと平時なのでしょう。

このように、オモチャを並べはじめると、自然と大状況が見えてくるのです。

並べはじめる前に、「こういう設定にしよう」などと考えておく必要はありません。並べているうちに、なんとなく構図が浮き彫りになっていく。彼らの置かれた状況がだんだんと見えてきて、ひとつのストーリーが動きはじめるのを感じる。

ほんらいブンドドとは、このように遊びはじめられるものです。並べるという遊びのなかには、こうしたブンドドの発端を掴み出す力が含まれています。

 

オモチャを並べることで、壮大な風景を生み出せる

オモチャの数が増えれば増えるほど、並べたときの迫力は増してゆきます。

先日の記事でも触れましたが、ハンドリングブンドドにおいては、せいぜい4〜5体ていどのオモチャを同時に遊ぶのが限界です。一方、並べたかたちであれば、同時に遊べるオモチャの数はほぼ天井知らずとなります。

こうなると、大規模な戦争シーンや、同時並行でさまざまな場面を進行させることが可能となります。もちろん単身での戦闘にもドラマは見い出せますが、大掛かりな戦線を立ち上げることで扱えるストーリーの規模は大きく膨らみます

近年はハリウッド映画でも、クライマックスに多数対多数の決戦シーンを設けることが多くなりました。ロード・オブ・ザ・リングスターウォーズマトリックスアベンジャーズ……。こういったブンドドのイメージソースたりうる作品群に近づくには、「並べる」という遊び方に勝るものはありません。

また、さまざまな場面を想定しつつオモチャを並べることで、オモチャ同士は自然と会話を始めてくれます妄想を加速させるのはシチュエーションです。リアクションによって人間性を浮き彫りにするという作劇の定番手法のとおり、シチュエーションを設定してやることでキャラクターたちの行動・言動を想像することがたやすくなります。戦場のあちこちで、キャラクター同士が会話と戦闘を繰り広げている、そしてそれをじぶんが俯瞰視点で見下ろしている……。

まるで「戦争と平和」を書いていたときのトルストイのように、あなたは神のごとき万能感に包まれることでしょう。

 

オモチャを並べることで、たくさんのオモチャを一望できる

オモチャ収集の趣味が長引くと、コレクションの全貌を見通すのが困難になります。棚に綺麗に並べるコレクターであれば別でしょうが、我々のようなブンドド勢はすぐに遊びにアクセスできるよう、てきとうな箱や引き出しに投げ入れていることがほとんど。こうなると、よく遊ぶオモチャを除き、久しく手に取っていないオモチャが下層に埋もれがちです。

そんなときにも、「並べる」という遊び方は役立ちます。多くのオモチャを並べているうちに、自分の持つキャラクターたちの棚卸し・点検ができるのです。

 

「そういえばこんなオモチャを持っていたな」

「コイツは以前退場させたまま登場させていないぞ」

「そうだ。硬直してた戦況に一石投じるのに、コイツを登場させるのは手だぞ」

 

 

というような形で、オモチャの再登場・再利用を計ることもできるでしょう。

 

また、買った時期の異なるオモチャを並べてみることで、そこに思いがけない関係性が生まれる可能性があります。

ゲーム・オブ・スローンズという超有名な洋ドラがありますね。ファンタジー世界を舞台にした群像劇なのですが、この作品の魅力のひとつに、それぞれ個性の強いキャラクター同士が、運命のめぐり合わせによって、思いがけない組み合わせになるという点があります。

 

たとえば、ある勢力にいた人間が、裏切って反対勢力につく。権力闘争に破れた貴族が流浪の身の上に落ち、意外な人間に救われる。ある政権が滅びたことで、有能な将軍が拾いあげられ重用される。陰謀に巻き込まれ父を殺された貴族の娘が、復讐を誓って暗殺教団で修行を積む。……などといった展開が目白押しなのです。

そもそも、複数の勢力が複雑に絡み合ったストーリーの大筋があるなかで、こういった人間の入れ替わりがありますので、視聴者は運命の変転の面白さにとりつかれるわけです。

また、AとBという関係性だけで描かれていた人間像も、キャラクターの組合せがBとCという形になれば、また違った側面が浮き彫りになります。キャラクターの組合せが変わると、そこに新たな関係性が生まれ、人間描写がさらに深みを増していくのです。

 

こういった手法を、組み合わせるオモチャによって採用してみましょう。ふだん一緒に行動させていたキャラクターから離して、別のキャラクターと近づけてみる。誰かに命じられたのか、めぐり合わせなのか、何者かの陰謀に基づくのか……。なんにしても、新たな組み合わせはキャラクター同士の摩擦や衝突を生み、ドラマを加速させてくれるでしょう。

最近うまく自分の言葉で喋ってくれなくなったオモチャを、これまで組み合わせたことのなかった他のオモチャの近くに置いてみましょうキャラクター像が明確にイメージできてさえいれば、そこに新たな会話・やりとりが立ち上がっていくのが見て取れます。

新たな組み合わせは、マンネリ化しつつあったブンドドにも、一筋の光明を与えてくれることでしょう。

 

「並べる」と「手に取る」はコインの裏表である

さて、ここまで「並べる遊び」の楽しさについて語ってきました。

しかし、記事のタイトルにも掲げた「並べる楽しみが8割」という論には、ぼくはシンプルに首肯することはできません。

というのは、並べる楽しさはハンドリングブンドドとコインの裏表にあると思っているからです。並べた後で、ただ眺めて想像を繰り広げるだけでは、ぼくは満足することができません。

どうしても並べたオモチャのうちいくつかを手に取って、戦わせたくなる。

戦わせた後は、また情勢が変わった状態で並べ直したくなる。

「並べる」と「手に取る」を繰り返しながら遊ぶのが、すくなくとも、ぼくには向いているようです。

 

ただ、これまでハンドリングブンドドしか行なってこなかった方々には、ぜひ並べる遊びを試してみていただきたいと思います。

童心に返ってオモチャを並べているうち、思いがけない楽しみやマンネリ打破を迎えることができるかもしれません。

ザコは何体買うのがちょうどいいか?という話

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ザコは必要である

ブンドドというからには戦わなくてはならない。

もちろん平和的ブンドドも悪くはないのですが、どちらかというとお人形遊び的方向に寄っていってしまいますし、戦いは対立構造によってドラマを生み出しやすいので、妄想の幅を広げていくにはもってこいなのですよね。

 

というわけで、戦うことがブンドドの基本となると。

どうしても必要になってくるのが、ザコというものです。

 

ザコ

機動戦士ガンダム」でいうところの、ザク

仮面ライダー」でいうところの、戦闘員

スターウォーズ」でいうところの、ストームトルーパー

なぜだか我々は太古の昔から、十把一絡げのやられ役である彼らに心を惹かれてしまいます。おなじ顔をした、個性というものを徹底的に消された、組織の歯車たち。もしかしたらぼくたちは彼らに、日頃名もなき歯車として虐げられているじぶんたちを重ね合わせているのかもしれません。

 

ヒーローであるところの主人公は、ただひとり、巨大な敵に立ち向かう必要があります。図体が巨大ということもあれば、組織が巨大ということもありえます。敵のあり方として後者を選択したならば、その勢力はしっかりと整えてやらねばなりません。問題は、物量です。

 

ごくごく一般的な作劇手法として、主人公勢力は敵勢力よりも弱小であるというのが必要になります。もちろん、主人公に仲間がいてもいいのですが、これが敵よりも圧倒的に数が多いとなってしまうと、せっかくの燃える戦闘が単なる弱い者いじめの様相を呈してきます。

もちろん、敵が見るからに巨大なクリーチャーなどであれば成立するのですが、ことブンドドにおいては、あまりに巨大なオモチャを用いるのは現実的ではありませんよね。となると、敵勢力のほうが数量が多いという構図をつくるのが、いちばんてっとりばやい。

 

ここで重要になってくるのが、そう、ザコです。

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ザコは、兵隊としてたくさん群がっている必要があります。それらをまとめて吹き飛ばすという快感こそ、ザコ戦の醍醐味でしょう。

だいたいふつうの戦隊ものであれば、平均して10~15人前後のザコを率いていることが多いですよね。戦隊の場合は味方も5人以上いますから、あれぐらいの勢力でないと戦いが成立しないという事情もありますが。

 

なんにしても、ザコがわらわらといることで、敵勢力は格段に巨大化できます。

でありながら、それぞれのザコに対して台詞や行動をいちいち考える必要はありません。キーとかグワーとか言わせて、無思慮にヒーローを襲わせておけば事足ります。あなたの妄想リソースは、ヒーローと怪人の対立構造に集中させましょう。そうすることで、見た目の迫力と物語の立体感を両立させることが可能となります。

 

ことほどさように、ザコとは便利なものなのです。

 

 

ザコは何体必要か?

さて。

こういったザコキャラというのは、一定の人気を勝ち得ることから、けっこうオモチャ化にも恵まれます。というわけで買おうと思えば買うことはできるのです。問題は買うか買わないかではありません。

いくつ買うか、です。

 

先ほどの戦隊ものに習って、10~15人揃えるべきでしょうか?

 

いえ。

やめておきましょう。

 

まず、お金が足りません。

ブンドド好きなあなたは、物語を先に進めるためにも、新たなオモチャを次々に導入しなくてはいけません。いくら使い回しの利くザコだからといって、そこに予算を傾けすぎては、新キャラ投入によるテコ入れが困難になってしまいます。無限のお金があるよ、という富豪であれば話は別ですが。

 

また、場所も足りなくなります。

机の上か、床の上か。いずれにしても、日本の住宅事情のなかで遊んでいる以上、オモチャを広げることのできる面積には限りがあります。そこに10人以上のザコを並べてしまっては、邪魔以外のなにものでもありません。

 

加えて、も足りない。

あなたの手は2本が上限です。ザコを10人も買ってきたところで、一度に動かせるのは1人です。精密な動きをさせずに、ただ体当たりするだけであれば3人ぐらいを襲いかからせることも可能でしょうが、その戦闘はどこかやけくそじみてしまいます。

 

では、1人を買えばじゅうぶんなのでしょうか?

 

これもまた、問題は残ります。

まず、ザコ最大の魅力であるわらわら感を表現することができません。人によっては、時代劇の斬られ役がごとく、1人しかいないザコ玩具を毎回別人のように入れ替わり立ち替わり主人公に襲いかからせたりもしているようですが、複数のザコを並べたときの迫力を再現することはできなくなってしまいます。

 

このように、ザコは多すぎてもダメ、少なすぎてもダメなのです。

上に挙げたようなジレンマから、すべてのブンドド好きは適正ザコ量について悩みつづけているのが実情なのです。

 

 

「適正ザコ量=3+n」説

 

ぼく自身も、長年ブンドドを続けていくなかで、この適正ザコ量問題については頭を悩ませ続けてきました。

しかし近年、それもここ3か月ていどでようやく、自分なりに納得のいく適正ザコ量を見いだすことができたのです。

 

それが、下記の数式です。

 

適正ザコ量=3+n

 

解説しましょう。

まず、ヒーロー1体に対してのザコは3体が適正です。これは、ヒーローの周りにザコを配置したときのバリエーションの都合によるものです。3体ぐらいが用意できていれば、1体が既に倒されていて、1体がヒーローに捕まっており、1体がいままさに襲いかかる瞬間……といった具合に、それぞれ違う行動を取らせることができます。

4体になると、ちょっと多すぎてこの行動バリエーションを考えるのに苦労します。また、バランス的に4体中1体はリーダー格がいてもいいという心理が働いてしまうので、ザコ3体に怪人1体のようなバランスがちょうどいい印象です。

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ただし、3体というのは、ヒーローが1体であった場合に限ります。

2VS3となると、ザコは瞬時に打ち倒されてしまいそうな印象になります。2vs4ぐらいのバランスであれば、まずまずの戦闘が繰り広げられそうです。同様に、ヒーロー3体ならザコ5体、ヒーロー4体ならザコ6体……と、ヒーローが1人増えるたびにザコを1人ずつ増やしてやれば、なんとか恰好がつきます。

というわけで、数式のなかの「」とは、「ヒーローの数-1」という値だったのですね。

 

ただ、さきほどの「手が足りない」という問題は、ヒーローであろうがザコであろうが事情は同じことになります。

人間が同時に遊べるオモチャの数はおおよそ4~5体が限度ではないかと思われますので、それ以上になる場合は、「同時進行で違う場所で戦っている」という物語設定にしてやる必要があるかもしれません。

 

 

ただし

ザコは多いに越したことはない、というのも一面で真実ではあります。

お金・場所の問題がクリアできるなら、たくさんのザコを並べて閲兵式イベントをやってやってもいいでしょうし、「絶望的物量の敵が進軍してきた……!」という設定で戦わせてやるのも、乙なものでしょう。

 

またザコは、さほど多くの設定を背負っていないことから、他作品のヒーローたちに対してもザコとして立ち向かわせやすいというメリットも持っています。思い切ってたくさん買っておけば、それはそれで遊びの幅は広がることでしょうし、無駄になることは少ないのではないかと思います。

 

ただ、「同じものをこんなに買って!」と誰かに叱られることがないよう、お互い気を付けましょうね……!

ハンドリング・ブンドドについて

このブログは、ブンドドを前提としたオモチャレビューや、ブンドドの技術についての考察などを載せるためのブログです。

 

よろしくお願いします。

 

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ハンドリング・ブンドドとはなにか

ハンドリング・ブンドドとは、なんなのか。

一言で言うなら、「オモチャを手に持って遊ぶこと」です。

原義としては「ブンドド」という単語自体に、上記の意味は含まれていますし、本来はブンドドという言葉の語義じたいがそのまま、オモチャを手に持って遊ぶことを意味していたのです。

そういう意味では、「ハンドリング・ブンドド」というのは、レトロニム以外のなにものでもありません。

(※レトロニムについては下記まとめを参照してください)

 

togetter.com

 

では、なぜこんなレトロニムが必要になってしまったのか。

歴史を振り返りはじめると長くなってしまうのでざっくり言いますが、現在の「ブンドド」は、「オモチャにポーズをとらせて写真を撮る」ぐらいの意味合いに変容しまっているからです。

もちろん、ネット辞書などには「オモチャを手に持って遊ぶ」という方で語義が掲載されてはおりますが、実際にSNSで「ブンドド」という単語で検索をかけてみると、ほとんどの方が「写真を撮る」の方へと傾いているのが見てとれます。

この遊び方を否定するつもりはないのですが、僕のように本来の「オモチャを手に持って遊ぶ」ことの楽しさについて語らいたい人間にとっては、検索結果が一色に塗り替えられてしまっている状況は手放しに歓迎できるものとは言えません。

 

そこで、ハンドリング・ブンドドです。

 

この言葉は決して僕の発明ではないのですが、声を挙げて提唱していきたい言葉ではあります。この言葉を使うことで、本来の「オモチャを手に持って遊ぶ」という語義が消失してしまうことを防ぎ、同時にわれわれのような大人げない連中が居場所を失わずに済むのです。

 

ハンドリング・ブンドド、推していきましょう。

 

 

ハンドリング・ブンドドの基本は、ソフビである

釣りの世界に、「釣りはフナに始まり、フナに終わる」という格言がありますね。

ぼくは釣りにはまったく疎いのですけど、フナ釣りというのは初心者向けの簡単さと、玄人向けの奥深さを備えているという意味らしいのです。そこで、フナ釣りから始めた初心者が、ありとあらゆる釣りに手を出した結果、フナへと戻ってくる。それを指すのが、この格言なのですね。

 

ブンドドにおいても、この「フナ」は存在します。

 

それが、ソフビです。

 

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ソフビ、すなわちソフトビニール人形はブンドドの基本です。

誰もが子供のころ、ウルトラマンと怪獣のソフビを一度は手にしたことがあるでしょう。片方の手にウルトラマン、もう片方に怪獣を握りしめ、ウルトラマンの掛け声や怪獣の吠え声などを口ずさみつつ、ソフビ同士をぶつけ合う。それがブンドドの始めであるという方も多いのではないでしょうか。

 

ハンドリング・ブンドドはソフビに始まり、ソフビに終わると言ってもよい。

 

ソフビというものは、たいへんに奥深いものです。

まず、近年のアクションフィギュアの常識からは考えられないほど、可動ポイントが少ない。一般的なウルトラマンの可動を確認してみると、そのポイントはわずかに3カ所、右腕・左腕・腰でしかありません。怪獣なら、右腕・左腕・尻尾と、やはり3カ所でしょう。

しかしじっさいに手にとって遊んでみると、これが必要十分の可動数なのだという事実に気がつきます。

 

まず、ポーズに悩む必要がない。

アクションフィギュアの可動数は、少なくとも16カ所以上を超えることが多いですね。これらを手にしたとき、ぼくたちはついつい、可動させること自体を目的化してしまいます。なまじ人間に近い可動域を持っているがゆえに、両腕を前に出しただけではパンチを出す姿勢として説得力を持つことができず、ああでもないこうでもないと、かっこいいパンチのポーズを探り始めてしまいます。

その間、あわれなことに、敵役の人形は忘れ去られます。

ようやくポーズが完成すると、その美しいポーズに惚れ惚れとして、ついうっかり見とれてしまいます。手のひらは自然と机の上のスマホをたぐり寄せ、カメラアプリを起動し、パシャリパシャリとシャッターを切りはじめることでしょう。

そして苦労したポーズを崩すのに忍びないという気持ちが芽ばえ、ついつい棚の上にそのままのポーズで飾ってしまいます。

 

こうして、フィギュアは飾り物に堕してしまうのです。

 

それに比べて、ソフビ、です。

ソフビは、3カ所しか可動しません。精いっぱいポーズを決めてみせようとしたって、両腕を前に突き出す姿勢がせいぜいです。それだけでは、とうてい戦闘の構えには見えません。

それでいいのです。

なぜなら、ブンドドとは見立ての遊びなのですから。

 

両腕突き出しポーズを、勇ましいファイティングポーズに見立てる。

机の上を、人びとが逃げ惑う街に見立てる。

並べた消しゴムや積み上げた文庫本を、そそり立つ高層ビル群に見立てる。

そうやって、ウルトラマンと怪獣との戦いを頭のなかで再現していくのです。目に見えているものだけがすべてではありません。頭の中で、ウルトラマンと怪獣は原寸大に化け、じっさいの特撮と同じように全身を躍動させながら、熱い肉弾戦を繰り広げます。見えない光線を撃ち、想像上で怪獣を爆発させるのです。

 

これが、ブンドドの基本です。

 

想像力は、制限が厳しいときによけいに羽ばたきを強めます。

美麗なコンピュータグラフィクスで描かれたキャラクターよりも、ドット絵の勇者に感情移入してしまうのと同じです。ソフビはあらゆる想像力を受け止め、柔軟にあらゆるアクションをこなします。

彼らの肉体はちっともアクションしないがゆえに、無限のアクションを秘めているのです。

 

激しくぶつけ合ったって、壊れることはありません。ビニール製の肉体は、どんなに高くから投げ落とされても、風呂のなかに浸けられても、ものともしません。多少塗装が剥がれることがあったって、本質にはなんら影響しません。

オモチャのコンディションに気をつかった瞬間、想像力は一気に興ざめしてしまうものです。その点、あらゆる乱暴な扱いを受けても平然としているソフビには、オモチャを遊ぶという行為じたいに集中させる吸引力があります。

 

また、ソフトビニールという素材自体にも魅力があります。

ソフビ同士をぶつけたときの、独特の軽い音に耳を澄ましてみましょう。硬質な音の裏に、やわらかく衝撃を受け止めるビニールの存在がたしかに感じられます。

この音は、かつて4歳だったころに耳馴染んだものと同じ音です。ふたつのソフビを手に取ってぶつけているとき、あなたは全世界に愛され、包まれていたころの安心感へと立ち返ることができます。

 

想像力のリハビリにも、ソフビは向きます。

久しぶりにオモチャで遊んでみようと思った大人が、無邪気だったころの感覚を思い出すのは、なかなか難しいものです。たとえばアメコミ映画の精巧なアクションフィギュアを買ってきても、ヒーローとヴィランが敵対する理由を思いつくのに一苦労するでしょうし、彼らの台詞をうまく語ることも至難の業です。

ですが、ウルトラマンと怪獣なら、この心配はありません。

彼らが戦う理由など、明白です。怪獣が街を襲う、それをウルトラマンが止める。それだけでいい。また、ウルトラマンも怪獣も、言葉を語ることはありませんから、うまい台詞を思いつけなくても問題ありません(ただし、最近のウルトラマンはこの限りではありませんが)。

とにかく、両手に持ってぶつけるところから始めればいい。

なにも考えずにそうしているうちに、あなたは4歳のころの感覚をだんだんと取りもどしていることでしょう。

 

まずは、ごく基本的なウルトラマンと怪獣のソフビを買ってきてください。

お金の工面に悩む必要はありません。二つを買っても千円そこそこで済みます。あらゆるオモチャが値上げの憂き目に遭っている現代において、ウルトラマンシリーズのソフビだけは例外的な安値を保ちつづけています。

 

作法はありません。思う存分戦わせてやりましょう。

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